ウィダーと双眼鏡

だいたいそれ持って現場行ってる大人

1年前、空気ぐらい大事だったグループにいろいろあったけど未だジャニオタの独り言

1年前の2018年5月6日、TOKIOが4人になりました。

 

人生の半分ジャニオタな私は人生の半分TOKIOファンでした。

世代的に人気のジャニーズといえばYou&Jで、周りにファンがいなくてもTOKIOファンを公言し続けた中学時代。札幌でやるイベントに行きたいと言ったら親に「無理だろ。」と一蹴され、地図帳で地元青森と札幌の距離感を認識した高校時代。やっとコンサートに行けた大学時代。武道館でデビュー20周年を祝えた社会人1年目。

昔ほど好き好き言わなくなったけど、幾度の節目を迎えてもいつも当たり前にある安心材料がTOKIOでした。

 

ずっとは現実的に無理かもしれないけど半永久的にTOKIOは5人で存在し続けるものだと思っていました。正直将来的にメンバーの葬儀に行くぐらいの覚悟はありました。

 

いやぁ、辛かった。

あの事件があってから太一は毎朝深刻な顔してるし、出演番組は差し替えと再編集の嵐だし。まぁ、差し替えられたり再編集されたりしたところでもう5人でなくなってしまったのでそんなに見れてないんですけどね!!!深夜にどうしようもなくなって泣いた日もありましたわ。

 

事件から2週間弱経って脱退、4人で再始動と発表されてから真剣に2回は死のうと思いました。私がこれ以上生きていてもTOKIOが5人に戻らないなら生きる意味はないと思って。ちゃんと生きてるけど。最寄り駅にホームドア着いててよかった~~~。

 

死んではいないけどウォークマンからTOKIOの曲を全部消して今までほぼほぼ聞いていません。出演番組もそんなに力を入れて追わなくなったし、特に音楽番組への執着は無くなりました。FC名義も自然消滅させました。

 

もうTOKIOファンではなくなってしまいました。TOKIOが好きかと問われれば「昔はね。」が最適解かと思います。

人生の半分を支えてくれたものを無くしても人って案外生きられるものです。

 

案外生きられるものなんですけど、当時は言えなかったことを1年経って文字に起こしておいてまた生きていこうと思います。

 

あの事件はそう簡単に許されるものではありません。でも「TOKIOに戻りたい。」という言葉を揃いも揃って袋叩きする世間の流れが耐えられませんでした。そりゃあ甘えから出てしまった言葉かもしれないけどそんなに叩くものかと。

 

もう1つ、TOKIOのメンバーに対してはもう少し立ち止まっても、例えばグループとして活動休止期間を設けて今後についてじっくり考えてもよかったのではと思っています。アイドル活動、タレント活動から発展して国や自治体にまで影響を与える存在になれたことは誇りです。関係する企業や団体のために早く再始動すべきだったということも理解はしています。ただ、アイドルよりも公人の側面が大きくなってしまった気がして寂しかった。そんなにすぐに決断しなくてもよかったんじゃないかな。20周年ライブツアー以降、毎年ライブを待ち続けていたファンは待つことに慣れてたのよ。

 

 

永遠も絶対もないって痛いほど分かったのに、今度は自ユニであるSnowManにまた「ずっと」を願い始めてしまいました。

 

2018年5月6日、TOKIO FCからの大切なお知らせメールを受け取ったとき、私は新橋演舞場のお弁当売り場前にいました。そう、滝沢歌舞伎の休憩中だったのです。

2幕はほぼ感情を無くした状態で観劇しましたが、いつもと変わらず自担の岩本照くんがステージに立っていてくれたことにただ感謝した記憶があります。

 

SnowManにもいろいろありましたし、今もいろいろある渦中です。

年を取れば取るほどジャニオタ辞めたい、辞めてやると思う回数が増えている気がします。それでも辞めない(辞めれらない)のは結局ジャニーズって楽しくて面白くて好きだからなんですよね。自担のパフォーマンスやら事務所のシステムやら無理をしないと好きと言えなくなったら辞め時かなぁ。まだしばらくジャニオタだろうなぁ(笑)

 

ジャニーズという得体の知れない高揚感で日常をちょっと楽しくさせてまた明日を生きます。